2014年5月18日日曜日

外堀は満開だった 弘前城(ひろさきじょう:青森)

青森県弘前市下白銀町
青森県最終は、今回のメインとしていたサクラの弘前城です。

現地からのBlogアップで8~9分咲きと書きましたが、現地さくら情報では外堀は満開と発表されていたようです。
大浦(津軽)為信は津軽地方を征服していく過程で、大浦城→1594年堀越城へ移るが洪水に悩まされた→弘前城築城を計画し町割りナドするが着工を見ず京で病没、2代信枚に引継がれます。
弘前城の建築資材は大浦城堀越城大光寺城ナドから運ばれ僅か1年2ヶ月とゆう短期で完成します。
現在残る天守(御三階櫓)は現存12天守の1つに数えられ、
城門5棟と3棟は重要文化財指定です。
また、与力番所東内門背後に1棟だけ残されております。
100年ぶりの石垣修復のため、2014年秋に堀が埋められ、2015年さくらまつり終了後に天守を本丸内側に70m曳きます。
今回を逃すと10年間は堀に映る天守サクラを拝むことはできません。
弘前城4万7千石居城としては立派で、徳川家康幼女嫁入りしており(準親藩扱い)、 対 佐竹南部への圧力をかけるためともいわれています。
津軽藩自体も他藩への貿易など石高以上に相当な利益があったのではないかと推察しますが如何でしょう??
また、岩木川分流(外堀)から水を引込み三の丸北の丸の間の賀田門前を水没させ切り離すための仕組みがあったりして良く考えられた縄張りと関心させられます。
コチラも天守から。
天守内にある本丸模型。
暗いのと透明アクリル板の反射でヒジョーに撮りにくい模型です。
ブルーシートは多聞櫓跡。
市では本丸を復元するため情報を集めているようですが、
石垣修復完成までにこの多聞櫓ナド建ちあがったら楽しいのですが・・・??
旧天守台。
館神跡
東内門の中に与力番所がみえます。
さくらまつりの最中に番所は抹茶をいただける休憩所となり、たくさんの人で ゆっくり見学できませんでした。

コッチに気がついたタカ丸くんがポーズを・・・

さて、
現存12天守、残るは 丸岡城、高知城、宇和島城、
の3城となりました。
いつの日か全制覇したいと思います!!








弘前市立博物館(今回、企画展「大名家の美術」を拝観しました。)
タカ丸くん公式webページ

弘前城 MAP 追手門のところ
駐車場:多数あり
トイレ :要所にあり




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